年が明け、あっという間に桜の季節になってしまいました。夜桜の下では宴会が始まっています。にぎやかに花見を楽しむ人々を見下ろしながら、美しくも妖しく咲く夜桜を見て、西行法師の有名な和歌を思い出しました。

 願はくば 花の下にて 春死なむ その如月の もちづきのころ

「死ぬのであれば、春に桜の花の下で死にたい」などと、何を縁起でもないと叱られてしまいそうですが、これは決して絶望的な気持ちで詠まれたものではなく、むしろ日本的高潔さが感じられる美しい歌ではないかと思います。

人にはみな寿命というものがあり、死という人生の期限まで生きていくわけですが、ともするとそのことを忘れてしまい、いつまでも生きていけそうな気がしてしまいます。若くて健康であれば当然なのかもしれません。また、こんなことではいけないと時に思いつつも、いつのまにか夢を忘れて、安易で楽な日常に流されながら毎日を過ごしてしまいます。そんなとき、桜をみるとふと思うのです。残された時は決して永遠ではなく、それがどんなに大切なものかと。西行法師のように、哲学的に悟っている訳ではありませんし、今の私に悟ることは無理ですが、桜を見ると何故か死を思い、せめて与えられた時間を大切にしたいと思うのです。

西行法師は、その願いどおり如月の頃(2月16日、陰暦)に入滅いたしました。